アート思考で気づく、日常の「香り」に潜む記憶と感情
私たちの五感の中でも、普段あまり意識しない感覚の一つに「香り」があります。視覚や聴覚ほど情報として明確ではないためか、あるいは空気のように常にそこにあるからか、私たちは多くの香りを「あたりまえ」としてやり過ごしています。
しかし、香りは私たちの心に深く、そして時に強烈に作用することがあります。特定の香りを嗅いだ瞬間に、遠い過去の記憶が鮮やかに蘇ったり、特定の感情が呼び起こされたりする経験は、多くの方がお持ちではないでしょうか。
アート思考は、「あたりまえ」を問い直し、そこから新しい見方や気づきを得る考え方です。今回は、このアート思考のレンズを通して、日常に潜む「香り」の世界を探求し、私たちの内面に隠された記憶や感情、そして豊かな気づきにどう繋がるのかを見ていきましょう。
日常の「香り」に意識を向けてみる
まずは、意識的に日常の様々な「香り」に注意を向けてみましょう。
朝の目覚めのコーヒーの香り、焼きたてのパンの香り。雨上がりのアスファルトの香り、公園の土の香り。電車の中の様々な匂い、古い紙の匂い。ふと立ち止まった街角で漂ってくる花の香りや料理の匂い。自宅に戻った時の、いつもと変わらない安心する香り。
このように考えてみると、私たちの日常は実に多様な香りに満ちています。これらの香りを、ただの背景としてではなく、独立した存在として捉え、感じてみることが第一歩です。
散歩中や通勤中など、いつも通る道で一度立ち止まり、目をつぶって鼻を澄ましてみてください。どんな香りが感じられるでしょうか。一つだけでなく、いくつかの香りが混ざり合っていることに気づくかもしれません。その香りを言葉で表現しようと試みることも、気づきを深める良い方法です。
「香り」と記憶・感情の不思議なつながり
特定の香りが、強烈な記憶や感情を呼び覚ます現象は、「プルースト効果」とも呼ばれます。これは、作家マルセル・プルーストが自著の中で、紅茶に浸したマドレーヌの香りを嗅いで幼少期の記憶が鮮やかに蘇る場面を描写したことに由来します。
なぜ、香りはこれほどまでに直接的に記憶や感情に結びつくのでしょうか。科学的には、嗅覚が他の感覚と異なり、脳の感情や記憶を司る部位（扁桃体や海馬）に直接的に情報が伝わることが関係していると言われています。
アート思考の視点から見れば、これは「あたりまえ」だと思っている五感が、実は私たちの内面世界と深く繋がっていることを示唆しています。特定の香りを嗅いだときに呼び起こされる記憶や感情は、私たち自身の歴史であり、アイデンティティの一部とも言えます。
自分自身の「香りの記憶」を探る問いかけ:
- 子どもの頃によく嗅いだ、忘れられない香りはありますか？ それはどんな場面と結びついていますか？
- 特定の季節や場所を思い出す香りはありますか？
- 誰か特定の人物を思い出す香りはありますか？
- 心が落ち着く香り、元気になる香り、なぜか少し切なくなる香りなど、特定の感情と結びついた香りはありますか？
これらの問いかけを通して、あなたは自分でも気づいていなかった「香りの記憶」の引き出しを開けることになるかもしれません。
「香り」から「問い」を見つける
日常の香りに意識を向け、記憶や感情とのつながりを感じていくと、そこから自然と「問い」が生まれてきます。
- なぜ、この特定の香りに、私はこんなにも強く反応するのだろうか？
- この香りは、私にとって何を象徴しているのだろうか？
- もしこの空間からこの香りがなくなったら、私の感じ方はどう変わるだろうか？
- この香りを、言葉や色、形に置き換えるとしたら、どう表現できるだろうか？
このような問いは、香りの物理的な性質を超え、私たちの内面や、その香りが存在する環境、そしてそれを取り巻く文化や社会にまで広がっていきます。香りは単なる空気中の分子ではなく、私たち自身の経験や世界の捉え方と深く絡み合った存在として見えてくるのです。
例えば、都会のコンクリートと排気ガスの匂いに、私たちは何を「感じる」でしょうか。それは単なる不快感でしょうか、それとも活気や変化、あるいは無機質さといった、より複雑な感情やイメージと結びついているでしょうか。
「香り」を通じて日常を豊かにする
日常の「香り」をアート思考の視点で見つめ直すことは、私たちの日常をより豊かにする可能性があります。
好きな香りに意識的に気づき、その香りがある瞬間の感覚を味わうことで、日々の小さな幸福を感じることができます。一方で、あまり好ましくない香りに気づくことも、その原因を探ったり、なぜそう感じるのかを内省したりするきっかけになります。
香りの世界は目に見えませんが、確かに存在し、私たちの五感や記憶、感情に働きかけています。アート思考で「香り」という「あたりまえ」に意識を向けることは、私たちの内面世界への扉を開き、日常の中に潜む豊かな気づきを発見する旅と言えるでしょう。
まとめ
アート思考は、特別なものを見るための考え方だけではありません。それは、私たちの身の回りにある、普段は見過ごしてしまいがちな「あたりまえ」の中に潜む可能性や、自分自身の内面に気づくための方法でもあります。
今回の「香り」のように、五感一つ一つを意識的に捉え直し、そこに潜む記憶や感情、そして「問い」を探求していくことは、アート思考を日常に取り入れる素晴らしい方法です。
今日から、ほんの少しだけ、鼻を研ぎ澄ませて日常を歩いてみませんか。きっと、これまで気づかなかった、あなたの知らない世界が広がっているはずです。