アート思考で「空間」を読み解く:あたりまえの場所から新しい視点を見つける
アート思考は、アーティストが世界を見つめるような独特の視点を取り入れ、私たちの日常に潜む「あたりまえ」を問い直し、新しい発見や創造につなげる考え方です。これまでの記事では、「見る」「聞く」「触れる」といった感覚や、「問い」「違和感」「習慣」といった思考や行動の側面から、アート思考の実践についてご紹介してきました。
今回は、私たちが毎日を過ごす「空間」に焦点を当ててみたいと思います。家、職場、学校、通勤路、行きつけのお店、公園……。これらの空間は、私たちの生活の舞台でありながら、あまりにも身近であるゆえに、その存在を深く意識することは少ないかもしれません。機能的な側面だけで捉え、「あたりまえ」の背景として通り過ぎてしまうことが多いのではないでしょうか。
しかし、アート思考のまなざしを向けることで、日常の空間は驚くほど豊かな表情を見せ始めます。あたりまえだと思っていた場所から、これまで気づかなかった新しい視点や可能性を見出すことができるのです。
なぜ日常の空間は「あたりまえ」になるのか
私たちは、空間をその機能や目的で捉えることに慣れています。「家は住むところ」「職場は働くところ」「公園は休むところ」。これはもちろん正しい認識であり、効率的に生活するために必要な考え方です。
また、長年慣れ親しんだ空間では、私たちは無意識のうちにパターン化された行動をとります。玄関を開けて靴を脱ぎ、いつもの席に座り、決まった動線で部屋を移動する。これは脳の省エネ機能でもあり、いちいち全ての情報を意識しなくてもスムーズに活動できるようにするためです。
このような機能性や慣れ、無意識のパターンによって、空間は「あたりまえ」の背景となり、その細部やそこに潜む多様な情報は私たちの意識に上りにくくなります。
アート思考で空間を「読み解く」とは
アート思考で空間を「読み解く」とは、その空間が持つ機能や目的といった表面的な情報だけでなく、もっと多角的な視点から空間を観察し、感じ、思考することです。まるで、初めて訪れる場所のように、新鮮な目で空間を見つめ直すことから始まります。
具体的には、以下のような視点を持つことが有効です。
- 感覚を研ぎ澄ます: その空間の形、色、質感、光の入り方、影の様子、漂う空気、音、匂いなど、五感を通して感じられる情報を意識的に捉えてみます。
- 「なぜ?」を問いかける: その空間がなぜそのような形をしているのか? なぜその色が使われているのか? なぜそこにその物があるのか?といった「なぜ?」を自分自身に問いかけます。設計者の意図、歴史的背景、そこにいる人々の行動パターンなど、様々な理由が考えられます。
- 関係性を見出す: 空間にあるモノとモノ、モノと人、人と人の関係性に着目します。何がどこに配置され、それが人々の行動や感情にどのように影響を与えているのかを観察します。
- 違和感やノイズに気づく: 「あれ?いつもと違うな」「ここはなぜか落ち着かないな」といった小さな違和感や、空間の「ノイズ」と感じる部分に注目してみます。そこに、空間の隠された一面や、あたりまえを疑うヒントが潜んでいることがあります。
- 物語を想像する: その空間で過去にどのような出来事があったのだろうか? 今、そこにいる人々はどんな背景を持っているのだろうか? この空間は未来にどう変化していくのだろうか?と、空間にまつわる物語を想像してみます。
日常空間を読み解くための具体的なヒント
難しく考える必要はありません。まずは、ほんの少し普段の意識を変えてみることから始められます。
- 身近な場所を「観察スポット」にする: 自宅のリビングの片隅、職場の窓際、いつものカフェの席など、特定の場所を決め、そこで数分間、ただ空間を観察してみましょう。何が見えるか、何が聞こえるか、どんな匂いがするか、どんな光や影があるか。いつもは目に留めない細部に意識を向けます。
- 普段と違う行動をとってみる: いつも通る道を一本ずれてみる、普段座らない場所に座ってみる、立ち止まって周りをじっくり見渡してみる。行動パターンを変えることで、空間の見え方が変わることがあります。
- 空間の「声」に耳を傾ける: もしこの空間が話せたら、どんなことを語るだろう?と想像してみます。壁のシミ、使い込まれた家具、人の往来など、空間の痕跡から何かを感じ取ろうと試みます。
- 「目的」から解放されてみる: 「ここで何をしなければならない」という目的意識を一旦脇に置いて、ただその空間の中に身を置いてみます。空間そのものの雰囲気や、自分がそこで何を感じるかに集中してみます。
空間の読み解きから生まれるもの
日常の空間をアート思考で読み解くことは、単なる観察に留まりません。そこから様々な気づきや新しい可能性が生まれてきます。
例えば、自宅の空間を読み解くことで、本当に心地よいと感じるレイアウトや必要な物が見えてくるかもしれません。職場の空間を観察することで、無意識のうちに感じていたストレスの原因や、より創造的に働ける環境づくりのヒントが見つかることもあります。街角の空間からは、その土地の歴史や文化、人々の営みを感じ取り、まちづくりや新しいコミュニティのアイデアにつながる可能性もあります。
空間を多角的に捉え直すことは、そこで活動する私たち自身のあり方や、空間と私たちの関係性を見つめ直すことでもあります。あたりまえだと思っていた空間に隠された多様な側面を知ることは、私たちの世界を広げ、より豊かに生きるための糧となるでしょう。
まとめ
私たちが日々を過ごす「空間」は、機能的な背景として捉えられがちですが、アート思考の視点で見つめ直すことで、その多様な表情や潜んでいる物語が見えてきます。あたりまえを疑い、感覚を研ぎ澄ませ、「なぜ?」を問いかけ、関係性や違和感に気づき、物語を想像する。こうしたプロセスを通して空間を「読み解く」ことは、新しい視点や創造性を育み、私たちの日常をより豊かなものに変えてくれる可能性を秘めています。
まずは、身の回りの一番小さな空間からでも構いません。少しだけ立ち止まり、五感を使い、心で感じてみてください。きっと、これまで気づかなかった「あたりまえ」の中の「あたりまえでなさ」が見えてくるはずです。